タイトル<野菜の学校>
● 2011年度「野菜の学校」 ●
- 2011年11月授業のレポート -
【講義】

「宮城伝統野菜・地方野菜」

渡部 憲明(わたなべ けんめい)氏

◆宮城は野菜の産地ではありません

 私はいわゆる種屋なので、今日は種屋が語る伝統野菜ということで聞いていただきたいと思います。というのも、宮城の場合、県や市としては伝統野菜に特に取り組んではいないし、伝統野菜としての定義もない、一般市場にほとんど流通もしていないからです。日本スローフード協会が、今日持参した小瀬菜大根や余目で作られた曲がりねぎを貴重な伝統野菜として「味の箱船」に指定したりはしています。

 地元で流通しているのは、もっぱらF1種です。


渡部 憲明氏

 宮城県は大きな野菜の産地ではありません。米の生産が主ですが、それも全国5位以内には入っていません。魚介が主といえるでしょうか。

 気候から見ると、夏は暑くなく、冬は東北にしては降雪量も少なく、比較的過ごしやすい地で、特に仙台などの沿岸部は温暖です。また、太平洋沿岸部から奥羽山脈の麓にかけて広大な平野があり、北上川や鳴瀬川、阿武隈川流域の沖積土壌は本来野菜栽培に適した土なのですが、野菜はずっと付け合わせのポジションでした。

 伊達政宗は食道楽で、精進料理を好んだそうです。しかし数年前に、地元の料理研究家が正宗の料理を復元したら、野菜はほんの少ししかありませんでした。

◆「みんなの白菜物語プロジェクト」の広がり
 ブランドとして流通しているのは白菜で、これは戦前には全国一の生産量を誇ったものでした。今では生産量は5位にあるものの、自家消費が多い。とはいえ、これは「仙台白菜」の名でいいだろうということで、ブランド名にしています。

 平成17年に、「今庄」という仙台の朝市通りにある青果商と出会いました。専務の庄子泰浩氏は伝統野菜の種の指導・販売をし、通信を出すなど大変熱い志をもった方で、この出会いを機に「みんなの白菜物語プロジェクト」がスタートしました。官民学が一緒になって仙台白菜をもっと復活・普及させようという試みです。仙台市内の私立明成高校調理科の教師が学生たちに食育として実施したことから、県内の農業高校の学生たちに、さらに地元の小学校高学年対象の食育など、様々な活動に広がっています。

 白菜などアブラナ科の野菜は元々とてもタフな野菜で、塩害に遭ってもめげない。今年の津波をかぶっても、何とか出荷できました。全農宮城も、今回の津波の教訓からぜひ復活させたいという意向があったり、農水省からも問い合わせがあるなど、なかなか活況を呈してきています。ただ、種屋としては、残してきた種は新しい品種を作るためだったりする程度なので、種として生きているのか微妙に思っているところです。

◆ツケナ中心の宮城の個性的な野菜たち
 今日の野菜の詳しい資料はお手元にあるので、要点だけの説明になりますが、ご紹介していきましょう。

・仙台白菜

 宮城は米と仙台牛がよく知られ、野菜の大きな産地はありません。唯一、白菜だけは、昔、日本一の産地でした。広く栽培された品種「松島純2号白菜」を作ったのが、私が属する渡辺採種場の先代・渡邊頴二です。

 渡邊とは別に、大変貴重な松島白菜の種を採った人として、沼倉吉兵衛氏が有名です。『坂の上の雲』には白菜を紹介しているような内容が載っています。明治28年、日清戦争の際に結球白菜の種が持ち帰られたことから、沼倉氏が栽培と採種に専心し、やがて松島白菜として普及するまでになりました。元々、中国から白菜の種が来たのですが、結球したりしなかったりだったことに加え、アブラナ科の野菜は交雑しやすいという特性があるため、大変苦労したようです。宮城の場合、松島湾内の島を利用して隔離採種できたことが成功につながりました。ただ、沼倉氏の種は、他所に出荷できるほどには栽培できなかったと聞いています。


仙台白菜
 大正年間には、宮城の白菜は東京や横浜などへも出荷されるほどでしたが、流通事情がよくなかった上に、戦後は食糧難から畑が水田に替えられるなどして、生産も減っていきました。

 往時の活況を伝える『白菜王国』通信が仙台市博物館に残っています。今回の大震災のおかげで、各地の民家の倉の中から、白菜をはじめとする宮城の野菜に関する貴重な資料が続々発見されているのは、思わぬ収穫で、楽しみにしているところです。

 

・仙台伝統雪菜・仙台雪菜、四月しろ菜

 伝統雪菜のほうは小松菜や信夫菜系の冬菜で、大崎菜、長岡菜という人もいます。いつ頃から栽培されていたかは不明ですが、渡辺採種場の昭和初期のカタログには「仙台雪菜」の名前が登場し、種子も売られています。

 山形県米沢市付近で栽培されていた雪菜は上杉鷹山公が広めたといわれますが、その栽培方法をまねたのが「仙台雪菜」の語源だろうと推測されています。


仙台雪菜(左)と仙台伝統雪菜(右)

 近年、仙台市内などで流通している「仙台雪菜」は、伝統雪菜とは別の如月菜系統のツケナのF1種です。渡辺採種場が固定した「ちぢみ菜」は、戦後まもなくから栽培されていました。ハウス栽培の「雪菜」と、露地栽培で、寒さに当たって葉がちぢんだ「ちぢみ雪菜」の2種が、いわゆる「仙台雪菜」と認識されています。ちぢみ雪菜はその形からもタアサイの仲間と考えられます。

 ちぢみ雪菜は、島根県のビタミン菜の親としても用いられました。

 四月しろ菜は昭和14年に中国から持ち帰られたもので、チンゲンサイより薹が立つのが遅いため、4〜5月に食べられるところからこの名があります。

 

・仙台芭蕉菜
 芭蕉菜は葉が大きく、芭蕉の葉に似ているところから付けられた名。東京都荒川区三河島で作られていた三河島菜と同じらしい? 江戸城築城の専門職として伊達から出向いていた際に持ち帰ったのではと言われています。三河ですから、元は愛知県の三河なのでしょうが、愛知県に種は残っていません。

 現在は家庭菜園や自家用として栽培されるのみで、ほとんど作られていません。明治の頃から食べているという農家では、仙台みそを作った後の樽に並べて漬けていたそうです。

・小瀬菜大根
 宮城県北部の小瀬地区で栽培されていた小瀬菜大根は、山寄りの盆地で作られていたために残っていました。現在は弊社で改良した小瀬菜大根がありますが、寒さに弱く、強い霜に当たるとダメになってしまいます。

 これは、日本スローフード協会の「味の箱船」に認定されています。根より葉茎を食べるものでしたが、近年、シェフのアドバイスで根も食べるようになりました。

 とはいえ、出荷用に作っているのは今や2軒のみと聞いております。小瀬菜大根は食用というより根こぶ病菌を減らす働きがあるので、おとり植物としての利用が増えてきています。種とりはやめません。

・鬼首菜(おにこうべな)
 元は宮城県北西部の旧鳴子町鬼首地区で栽培されていたアブラナ科のツケナですが、今やまぼろしになってしまいました。種から栽培しても、成長するとバラバラで、どれが本物の鬼首菜かがわからなくなっています。同じアブラナ科の仲間の花粉が付くと簡単に交雑してしまうからなんですね。

 

・仙台せり

 元々は京都から持ってきたものが野生化し、それを栽培するように改良・普及させたもので、390年の歴史があります。宮城のせりは11月〜翌4月まで出荷され、正月の雑煮には欠かせません。東京の大田市場にも若干出されています。

 この冬せりとは別に「春せり」といって、石巻市河北地区に伝わる在来種があります。冬の寒気に当てて枯らしてから2月〜3月に出てくる新芽を刈り取るもの。これは葉が丸まっていて、やわらかく、香り高く、シャキシャキしてみずみずしいので、サラダにも合います。


仙台せり

 

・仙台曲がりねぎ
 元々の産地名をとって余目ねぎともいわれますが、松本系1本ねぎに茨城の赤ねぎか山形の赤ねぎの血が入っているのではと見られています。この地は地下水が高いために栽培には向かなかったのを、「やとい」といって、水平に近い20〜30度に傾けて植え付けを行う新しい栽培技術を確立して栽培が広がりました。甘みとやわらかさが人気の、鍋物には欠かせないねぎです。近年出回っている曲がりねぎの多くはF1種で、宮城県としては機械化しようとがんばっているのですが、なかなか難しいのが現状です。

 今日は、代々自家採種をしている関内さんという生産者の曲がりねぎ(これは小学3年生の社会科の教科書にも載っているものです)、F1種の曲がりねぎ、私が持参したもので在来種だけれども生産者が違う曲がりねぎを用意しています。

・赤がらからとりいも
 さといもの葉柄は「ずいき」「赤がら」とも呼ばれます。宮城では、赤がらは、焼いて干したハゼでだしをとった雑煮には欠かせないものです。仙台近郊では、一般に葉柄を食べるための赤がらと、小いもを食べる青がらの両方を代々残してきました。葉柄をとるから「からとりいも」なんですね。青がらは山形の伝統野菜である土垂れ系の高級さといも「悪戸いも」では、とも見られています。

・仙台長なす
 言い伝えでは、伊達政宗公が文禄の役で博多港に立ち寄った際に、藩士が博多長なすを食べ、あまりにおいしかったので持ち帰ったつもりが、違う種だったのではとあります。ただ、そのなすは8〜10cmの小さいうちならおいしいことがわかり、仙台長なすとなったというのですね。

 他方、著名な農学者である青葉高先生によると、南部長なすから改良されたのではともいわれます。仙台長なすには2タイプあったようですが、現在の仙台長なすは細長くて曲がるタイプです。

 仙台長なすの漬けものがよく知られていますが、実は地元産は少ないようです。

 これらの他、宮城の地方品種として、仙台ほうれんそう、仙台大葉(大葉にら)、仙台黄(たまねぎ)などが、渡辺採種場の画像に保存されていました。

 いずれにしろ、アブラナ科の野菜が純系を保つのは非常に難しいということもあり、宮城には野菜が残っていないのです。私たち種屋にとっても、伝統野菜は新品種を作っていくための大事な材料でしかないのが現状です。伝統野菜を栽培する農家を守るべき仕組み作りが急務だと痛感しているところです。

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